浪人期を振り返る【1~3月編】

 

長々と書いてきたけどこれが最後です。 

1月 「月が近づけば少しはましだろう」ASKA

 元日から予備校に行った。直前講習と赤本を活用してセンター試験の対策に励んだ。息抜きで北野天満宮へ初詣に行ったりしながら調子を上げていった。センター試験直前の1週間は家に篭った。その時に駿台が販売しているパック問題を解いたら、毎回時間が足りず出来も悪かった。かなり焦って調べたら難し目のセットだとわかった。知らないうちに負荷をかけてトレーニングしていたお陰で、本番では難化した科目にも怯まずに済んだ。センター試験前日は21時には布団に入って、いつものように沈金(FM-Fujiの番組 沈黙の金曜日)を聴きながら寝ようとした。すると番組内でセンター試験の話題になり、昼間に自分が送っていた「センター試験頑張ってきます」的なメールが読まれた。メールを読まれたのは初めてでは無かったけど嬉しすぎて眠れなくなった。そんな訳でセンター試験当日は寝不足気味で試験会場に向かった。2度目の試験本番だったので緊張することは無かった。手応えの無い科目もあったけど難化したのだろうと割り切った。2日目の帰り道は自己採点をするのが怖くて隣の駅までゆっくり歩いたけど、家に帰ったらすぐに自己採点をした。大転けした科目もあったけど全体では去年よりも25点上がった。志望校は変えずに済んだしセンター利用で私立に出願できた。12月からの努力が結果に表れて嬉しかった。試験後の1週間はすっかり気が緩んでしまったけど、二次力はすっかり落ちていてそんな余裕は無かった。1月末にようやく二次試験に向け気持ちを切り替えることができた。


2月 「東京紅葉」野狐禅

 二次対策の講座をとって1週間ほど大阪校に通ったけど、京都から出るのが9ヶ月ぶりだったので少し緊張した。電車の中でセンター利用入試の結果を見た。東京に進学することが決まって安心した。二次試験の1週間前にD判定をとった秋の模試を見返した。自分の偏差値で昨年の合格率が3%弱だった。見る時期が悪すぎて普通に自信を失くしたので、模試の冊子を捨てて無かったことにした。解き終わった赤本を眺めるだけの1週間を過ごし、入試前日に新幹線で東京入りした。親がグリーン車の切符を渡してくれたので快適だったけど、お金のかかった分だけプレッシャーが増した。去年と同じホテルに泊まったので色々思い出した。参考書を沢山持ってきたけど開く気が起きなかったのは今年も同じだった。試験当日は何も考えずに問題を解いた。手応えの無かった科目は難化だと言い聞かせて次の科目に気持ちを切り替えた。去年は1日目の夜に数学の解答速報を見て後悔したので今年はすぐに寝た。2日目の科目が全て終わった時、受かる感触は無かったけど実力の120%を出せた気がした。だから落ちても何の未練も感じないと思った。後期試験は受けないのでこの日浪人生活が終わった。家に帰って参考書を片付けながらNetflixを満喫しているうちに、受験はあっという間に過去のものになった。

 

3月 「アナスターシャ」乃木坂46

 受験のことはすっかり忘れてダラダラした日々を過ごした。時間の使い道が無くなり友達と旅行に出かけた。合格発表日までは長かったので緊張もしなくなった。受験から解放された喜びも緊張を打ち消していった。しかし当日になって一気に怖くなった。家で結果を見るのが嫌だったので電車で隣の駅に行った。駅のホームで正午を迎え、息を整え少し時間をおいてからサイトを開いた。震えた親指で画面をスクロールすると自分の番号を見つけた。信じられなくて親にも確認してもらった。合格を受け入れられると時間差で喜びがこみ上げてきた。そのあとは慌ただしく予備校と高校に報告して、その日のうちに新幹線で東京に行き、翌日には1人で石垣島に行った。のんびりと島を散歩しながら合格の喜びを噛みしめた。家に帰ってからは友達と会って過ごし3週間後には引っ越した。京都には9年間住んでいたけど寂しさは感じなかった。人の少ない伊丹空港から思い入れのあるJALに乗って東京に行った。9年前京都に引っ越してきた時もJALだったのを覚えている。東京の街はいつもより人が少なく不安感が漂っていた。そんな訳で今年も新生活の喜びは感じなかった。