浪人期を振り返る【4~6月編】

 

そのときに支えてもらった、たくさんの記憶が詰まった曲とともに。

・4月 「生きてることが辛いなら」森山直太朗

 世間が新元号の発表で盛り上がっていたときは予備校の自習室にいた。初めての登校で空気感に馴染めず、2時間ほど我慢したが結局諦めて家に帰った。授業が始まるまでの2週間はずっとこの調子で全く捗らなかった。そもそも目標が定まっていなかった。去年は第一志望に35点足りず不合格だった。この差は1年間で簡単に埋められる気もしたし、どうやっても越えられない壁のようにも思えた。授業が始まってからもそれは同じで、ひとまず与えられた課題をこなしながら授業を受ける日が続いた。予備校という環境は自分には辛かった。友達は少ないし空気は重く、斜め前の人の貧乏ゆすりが気になった。自分なりの逃げ道が早急に求められた。高3の頃からバナナマン乃木坂46が好きだった。バナナマンがやっている深夜ラジオを聴き始め、乃木坂のメンバーがやっているラジオも聴き始めた。そこから深夜ラジオの世界に入り浸るようになり、予備校を早々に見放した自分は休み時間にタイムフリーで深夜ラジオを聴くようになった。弁当を食べながらイヤホンを付け、1人でニヤニヤしている姿は俯瞰で見るとヤバい。

 

・5月 「声がなくなるまで」JUN SKY WALKER(S)

 一生に一度しか出会えないような10連休も予備校では変わらず授業があった。受けに行く模試の数も増えてきた。勉強に追われるとその分逃げ道も増えた。このころラジオは毎日3時間以上聴いていた。それから本もたくさん読んだ。その中で出会ったのが佐藤多佳子さんの小説「明るい夜に出かけて」と、作中に登場する5年前実際にやっていた深夜放送「アルコ&ピースのオールナイトニッポン」だった。この小説を読んでから3年分の全150回に及ぶ放送を半年かけて聴いた。この番組にはこの1年間で何度も助けられたから、他の月で触れるかもしれない。それからこちらは逃げではないが家の用事で千葉に行った。ちょうどその週末には大学で学園祭をやっていた。大学に通う友達に案内してもらい、受験へのモチベーションを高めた。逃げ場を確保しながらも進路と向き合い、少しずつ受験に挑む態勢を整えていた時期だったと思う。実はこのあと次に京都府外に出たのは翌年の2月で、9か月ほど京都に引き篭もっていたことになる。

 

・6月 「深夜高速」フラワーカンパニーズ

 ラジオを聴くこと以外での楽しみは、毎週木曜日に友達とお昼を食べに行くことだった。変化のない毎日だから話すことはいつも同じで、それでも互いに心境を打ち明けられる人がいて嬉しかった。このとき強く感じていたのは、昨日と同じ今日を生きていることに対する不安だった。毎週同じように予備校で授業を受け、決まった時間に同じ階段で同じ友達とすれ違った。映画「トゥルーマン・ショー」の世界にいるような感覚だった。そんな日々が嫌で病みそうになった。少しでも変化を起こしたくて、普段聴かない歌手の曲や好きな作家以外の本を探していた。勉強面では4月から受けてきた模試が返却された。結果は去年と比べれば良い判定だった。より上を目指すような気力も高い志も無く、とりあえず現状維持に努めた。この選択のせいで後期は苦しんだ。悩みや気力のなさを抱えたまま前期を終えたことで、5月に整えた態勢は一気に脆くなった。

 

続く